レジデントノート

米国にて内科修行中。何ができるか模索している過程を記録していく

明日からできる医師の働き方改革

 

日米両国で臨床に携わって感じていることを端的に言うと

  

アメリカで働くのは楽である

 

これは限られた経験に基づく個人的な見解ではあるが、経験者に確認すれば多少の同意を得られるのではないかと思っている

  

もちろん働き始めた時は吐きそうになるくらい緊張したし、いつ首になるかヒヤヒヤする毎日を送っていた。ただそれは主に言語に基づく問題であって、それさえなんとかクリアされれば、いっその事ここに骨を埋めてもいいのではないか、という誘惑にさえかられてしまう

 

なぜそう感じるのか

 

その鍵を握るのが勤務時間”空気”であると考えている

  

とりあえず事を単純にするため研修医に限った話をする

  

研修医がマンパワーとして重要な役割を果たすのはどこの国でも同じであろうが、その労働力が過剰に使われて研修に支障をきたさないように勤務時間が厳密に管理されている

 

全米の研修プログラムの質を維持するための監督機関であるACGME(Accreditation Council for Graduate Medical Education)という組織が存在し、研修医の勤務時間を監視している。80-hour ruleというものがあり、研修医は週に最大80時間以上働いてはいけない規則が設けられている。なんらかの理由でそのルールが破られたことが発覚した場合、その研修プログラムは認証を取り消される可能性まである

 

実際、その規則が破られて一時停止させられるプログラムに所属する困惑した研修医と話をする機会があった。「現場の混乱を避けるため、とりあえず今回は注意勧告に留めておきます」などという生易しいものではなく奴ら本気でやるんだ、と驚いた記憶がある

 

監督機関にそれぐらい強い権限が与えられているため病院やプログラムは当然そのルールを遵守しており、研修医が過剰労働をさせられる事はほぼ無いのである

 

実際に三年間の研修は肉体的には楽だと感じた

 

 

そしてもう一つ重要なポイントがいわゆる”空気”である

 

それは医師と医師の間での患者の引き継ぎにおける空気、いわば「期待感」みたいなものの事を指しているつもりだ

 

おそらくこれはcontroversialでデリケートな問題なので表現に注意しながら説明したいと思う

 

そのためにはアメリカにおける患者の引き継ぎの有様を理解する必要があるのだが、まずそれに関連する研修医の勤務形態について述べる

 

研修医の勤務はcall scheduleというものに基づいて日毎に勤務時間が決められている

 

プログラム毎に多少の違いはあるだろうが、具体的な例で自分が研修したプログラムのスケジュールを挙げれば、朝7時勤務開始は毎日同じなのだが、Short call、これが通常勤務の日だが、夕方5時まで、Long callが夜9時まで、Post call、これが長時間勤務の翌日は休息のため昼1時まで、というようなスケジュールになっており、Short  call -> Short call -> Long call -> Post call -> Short call ->・・・というように順番に日替わりで勤務時間が変わっていく

 

基本的に土日は休みだが、土日がLong callあるいはPost callに当たる場合は勤務を行わなければならない。つまりこの順番で回ることで1ヶ月の間で土日ともに休みになることが1回、土日の両日とも勤務で休みがなくなる週が1回、土日のどちらかが休みの週が2回というような休日のスケジュールになっていた

 

ちなみに当直はNight floatと呼ばれる研修ローテーションがあり、それに当たる1ヶ月は夜9時から朝7時までの当直勤務だけに専念し、それ以外の一切のdutyが免除されるため、当直明けに続けて日中勤務というような事は起こらない

 

 

研修医は自分の日毎の勤務時間が終了するとLong callの研修医に、あるいはNight floatの研修医に必ず担当患者全員の申し送りを行わなければならない

 

申し送りをしない限り仕事が終了したとみなされず帰れないからだ

 

逆に一旦申し送ってしまえばその時点から責任が申し送られた側に移行するため、その後担当患者のことで呼び出されることはない

 

そしてこの申し送りはそれぞれの勤務時間終了予定の定刻通りに行われることが多い

 

たとえ自分の担当患者の状態が不安定であったり、その日に出るであろう大切な検査結果がまだ戻ってきていない時でも、あるいは病状説明を聞きに患者家族が遅くに訪れるような場合でさえも、それを待つ必要はなく基本的には次の担当医に指示を申し送って勤務を終えるのだ

 

つまり

 

「自分の患者が落ち着かないにも関わらず帰ってしまうのか」

 

「患者に関する大切な要件を主治医が責任を持って片付けないのか」

 

などという空気がなく、時間になったら終了することが当然のことと共通認識されているのだ

 

こちらで働き始めた時は感覚の違いに戸惑ったことを覚えている

 

こんな途中で丸投げしていいのか、と

 

 

ただ考えればこれはアメリカでは当たり前のことで、文化や考え方の異なる人たちが一緒に働く場合は明確な決まりがないとシステムが維持できない。「主治医として当然のことを終わらせてから帰ってくださいね」などと期待されても、どこまでが”当然”かが曖昧で混乱をきたしてしまう。そう言った意味で誰にでも分かりやすい”時間”で勤務を区切るのが合理的になるのだろう

 

 

日本を離れて少し時間が経つので現状を把握してはいないものの、おそらく勤務交代のこれほど明確な線引きが行われることは少ないのではないかと想像する

 

 

勤務時間外でも常にどこかで患者のことが頭にあるし、実際、当直医や日直医がいるにも関わらず夜中や休日に主治医に電話がかかってきたり、あるいは呼び出されることもあり得るだろう。夏休みでしばらく離れる場合なんかに担当を引き継ぐ際もどこか申し訳ない気持ちになったりしうる

 

これがアメリカではないのだ

  

ない、と言い切るのは少し誇張し過ぎかもしれないし、自分の時間が終わった途端に患者のことを気に留めなくなると言うと語弊があるだろう。それにこれは主に内科入院患者の話で科が異なれば事情も違うかもしれない

 

 

ただ乱暴に言ってしまえば

 

「この患者の責任は何時も主治医である私にあります」

「私の勤務時間内においてはこの患者の責任を持ちます」

   

それぞれの国が100%どちらか側だけ、という事ではないだろうが、一方により傾いているかという違いはあると感じる

  

どちらの方が良くて優れているという話をしたいのではない

 

自分が患者側だったら、やっぱり担当医がコロコロ変わるよりも一人で責任を持ってくれる医師に診てもらいたいと思ってしまう気がする

 

申し送られる側の医師であったら、主治医が不安定な自分の患者を遅くまで残って診療してくれて助かる、なんて思ってしまうかもしれない

 

 

常に自分の患者の責任を担い、次に働く同僚のことを思いやる

 

これは日本の素晴らしいところだと思う

 

医師の理想的な形とさえ言えるかもしれない

 

 

が、もしその理想が高いために、疲弊し持続性が担保されなくなるのであれば、やはりどこかで妥協点を見つけなければならないのかもしれない

 

働く個々人の善意に比重が大きくかかるシステムはシステムとして脆弱だろう

 

もし提唱されている医師の休息、これのみを最大目標にするのであれば、日本のやり方だとやはり劣ってしまう気がする。実際両方を経験してみてアメリカの方がオンオフが明瞭で働きやすいと感じるからだ

 

 

ではどうすればいいか

  

日本には日本特有の文化背景があるのだから従来通りの方法を続け、理想を維持していく

 

というのも一つ

 

あるいは、もし改革が必要であると感じるならば

 

まずは医師自身の意識を改革する

  

「私も残ってでも仕事をきっちり終わらせて迷惑をかけないようにするから、あなたもそうしてください」

 

から

 

「後は私が引き受けるから、あなたはしっかり休みを取ってください。その代り私が休みを取る時はよろしくお願いします」

 

 

具体的に言えば

 

勤務時間を明確にして時間外には診療に関わらないようにしオンオフをはっきりさせる

 

 

これは言うのは簡単だが、実際に行うと痛みを伴う

 

申し送られる側、つまり当直医や日直医の負担が増える

実際こちらでも前医から申し送られて自分の勤務が始まった瞬間病棟からの呼び出しが鳴り止まない、なんてことはザラだ。突然、転院や退院の手続きを全てしなければならない事もしょっ中ある

 

患者も主治医にあっさり撤退されてしまって辛いかもしれない

 

ドライ過ぎてどこか良心が痛む、なんて感じる医師もいるかもしれない

  

 

ただデメリットが皆無の方法なんてないだろう

 

比べてみてメリットの方が多そうであれば試してみるのも一つの方法だろう

 

 

申し送られる側の負担が増えても、それはお互い様でその分明日の自分の休みが保証される

 

たとえ勤務中の瞬間風速が増えてもオフが保証されていればよりリフレッシュされて、次の活力へと繋がりやすい

 

定時で帰れることが分かっていれば、夕方からジムやヨガに通い始められるかもしれない、保育園のお迎えの時間でヒヤヒヤすることも少なくなる、予定していた子供の誕生日祝いを逃して悲しむ顔を見なくて済む

 

患者もその時は少し辛い思いをするかもしれないが、大局で見れば、システムが持続することで長く安定したケアを受けられるかもしれない

 

(良心に関しては自分で折り合いをつけるしかないだろう)

  

 

もし勤務を時間ではっきり区切ることを実行するのならトップが旗を振って号令をかけなければならないだろう

 

「俺たちが研修医の時は病院に泊まって患者を診たもんだ、休みなんて返上して診療するのが当たり前だった」

 

という抵抗勢力が出てくる可能性があり、申し送りがし辛くなるからだ

 

あるいは研修医自身も

 

「早く一人前になりたいから、少しでも長く病院にいたい」

「気になったんで休日だったけど診に来てしまいました」

 

なんて言い出しかねない

 

これはもちろん悪いことではないし、自分も経験があるからその気持ちは理解できる

 

ただそれだと責任の所在が曖昧になってしまうし、オンオフがはっきりしなくなる

 

研修医の時ぐらいはそれでいい、という考え方もあるかもしれないが、例外を設けるとシステムが働きにくくなる事が予想される

 

それに病院にいる時間が比較的短いアメリカの研修医の方が劣っているかと言えば、必ずしもそうとは言えず、ただ長く居ればいいというものでもないだろう

 

  

 

本当に実行するのであれば例えば朝礼で以下のように発表してみる

  

・明日から17時に勤務終了にします

 

・その際、各自居残り医に担当患者全員の申し送りをしてください。申し送り用紙も準備して渡してください(フォーマットは配布します)

 

・17時にはPHSを返却してください

 

・17時以降病棟への出入りを禁止します

 

・居残り医は19時に当直医に申し送り用紙を渡して申し送りをしてください

 

・休日病院への出入りを禁止します

 

・夜間・休日の主治医への電話も余程の事がない限り控えるようにしてください

 

・各自の申し送りの実際の時間を記録していきます。定刻に遅れる回数が多い場合は個人面談をし、必要あれば勤務負担の調整も検討します

 

・不平・不満がある場合は直接院長に掛け合ってください

 

 

これは極端なものだが、これくらいの決まりを作らないと、隙あらば患者を診る人が出てきてしまう心配があるからだ

  

これは実際やろうと決めれば出来ないことではないだろう

 

実行してみてみんながハッピーになるなら続ければいいし、上手く行かなければ「やっぱり日本向きではなかったね」という事が確認でき元に戻せばいいだけだ

  

万が一これが定着したら

  

「あの研修医は夜遅くまで残って患者を診て偉い」

「あの研修医は休日も患者を診に来て素晴らしい」

 

という評価軸が(もちろんアメリカではそんな評価は皆無であるが)

 

「あの研修医はきっちり時間内に仕事を終えて偉い」

「休日の申し送りも全く漏れがなくて素晴らしい」

 

こんな風に評価される日が来るかもしれない

 

そうなれば仕事の風景も変わってくるかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

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